1.イケメンにムカツク少年
「イケメンの同級生を集団リンチ」
そんな見出しが目につきました。
「可愛い子はイジメられるもの」とはよく聞く話ですが、「男子中学生がねぇ・・・」などと思いながら読んでいくと、「警視庁少年事件課と○○署は、傷害の疑いで東京都○○中学に通う中学3年生の少年グループを逮捕した。動機はねたみ。同署などによると、少年グループは、イケメンの男子生徒が女子生徒にモテモテだったため~(中略)~『おれに彼女がいないのに何でお前だけいるんだ』などと因縁をつけ、犯行に及んだという」
それはそれで魂の叫びなのでしょうが ・・・
・ 私に彼女がいないのに
・ どうしてお前にだけいるのだ?
この疑問と瞋恚には、
「人は平等であるはずなのに、不公平で、かつそれはきっと不正であるに違いない」という論理が続くのでしょう。

2.違いを認める
人より足の速い子はいます。遅い子もいます。でも人間、足だけで生きているわけではありません。
イケメンとブサイクの違いはあるでしょう。モテる男子とモテない男子は確かにいるでしょう。
しかしその「違い」を認めないところで、人間は生きていけません。
もちろん、「同じ」を認めないところでも人間は生きていけません。そして何よりも大切なことは、今日モテない男子生徒が、明日もモテない男子であるとは、とても言えないということです。
「違い」を認めるからこそ「さあ…、俺は足が遅く、かつブサイクである。これからどうしょうか?」と考えて、行動すること(生きていくこと)ができます。
「違い」を無理に「同じ」する思考は、いつでも「同じ」を「違い」にする「差別」に転化します。
そして「子供は平等ですよ」という言葉には、「保身」の臭いさえします。
このような言葉は、観念にしてしまった子供を対象にした大人の頭の中でできあがった大人の都合による大人の論理です。
私風に言うと、人間、現実から遊離して頭の中で考えすぎた考えは「煩悩」になります。それは成功の反対行動。ハタ迷惑→転落→破滅に向かうマイナス・コンピテンシーです。
その第一歩は保身です。
(自分がなんとなく可愛い)保身のあるところに成長も、明日の成果もありません。

3.彼女がほしいなら
少年よ。君がブサイクであって、それを恨みとするならば、親恨め。
君がモテないことを恨みとするなら努力しない自分を恨めばよろしい。
街に出れば、ブサイクな青年が彼女を(中には超美人を)ゲットして ・・・誇らしく歩いているではないか。
だいたい、君は、本当に彼女がほしかったのか?
自分がなんとなく可愛いだけではなかったのか?
彼女がほしいなら
① 愛があって
② 勇気があって
③ 気の利いた言葉など
少しだけ「集中力ある工夫」があれば、サクセスの可能性は充分にあります。
ただし、対象と状況を「観念」にするとストーカーになります。
昔、武田鉄矢がやっていたドラマのように「僕は死にましぇーん」と自己主張して、トラックの前に飛び出すのは、運転手さんと運送会社にとって、とても迷惑なことです。
死を賭けるものとしてトラックを人格化し、運転手さんの人格を認めていません。相手の女性も気持ち悪いに違いない。
この3つは、並列の要件ではなく、3段ロケットように直列です。
そして重要なことは
④ 失敗にへこんだままになっていないこと

嗚呼、この真実を少年の頃に気づいていたら、私の青春もバラ色だったろうに。
気づいたときには、すっかり中年で、もう遅い。いや、もう遅いから気づいたと言うべきか。
人生において「彼女」を得ることほど幸福はあろうか。

*この文において、「彼女」と「彼氏」は交換可能です。性差は全く問題にしてはおりません(労務管理において「母性」は問題ですが)。そして「成果」とも交換可能です。

阿世賀 陽一